私は大学を卒業する時、研究室の担当教授からこのように言われた。
ということは私は大学時代から、かなりの異端児だったようだ。
私が所属していた九州大学の工学部機会系学科では8割が大学院へ進学し、2割が学校の推薦で就職するなか、私は学校の推薦枠を全く使わずに、就職活動をしていたのだから。
私の知る限り、同じ学科に所属する学生200名中、大学院にも進学せず、学校推薦枠も使わず就職活動をしていたのは私の知る限り他にはいない。
なぜ私がこのような行動をとったかというと、人生をゼロベースで自分で切り開きたかったからだった。
高校までの18年間、 宮崎県の片田舎の平凡な家庭の男3人兄弟の次男として生まれ育ち、子供の頃に会ったことのある社会人は自分の親か友達の親か学校の先生ぐらいのもの。
とにかく『世間知らず』で育ち、大学に進学して福岡で一人暮らしをするなかで、様々な人に出会い、多様な生き方があることを知り、これまでなんとなく敷かれたレールを歩んできたように感じていた自分の人生を、1から考え直し たいと思ったのだった。
俳優を目指すためにオーディションを受けてみたり、タレント養成スクー ルに通ったりしたこともあった。
思えば私はこの時から自分の足で歩き始めたのだろう。
大学を卒業する時点での私は、お金も無くコネも無く、一芸に秀でていたわけでもなく、どこにでもい る大学生の1人だった。
ただ、私には『自分は人とは違う。自分で道を切り開いていくのだ。』と いう強い意思があった。